僕として僕は行く。

旧・躁転航路

破綻の匂いと物語

 小説でも映画でもアニメでも漫画でも何でも言いし、もしかすると実際の人間関係とか人間自体もそうなのかもしれないけど、僕が面白いなって思うものって、なにかしら破綻の匂いがするものなんだな、と改めて思う。

 破綻の何が面白いかって言われるとなかなか答えに窮するんだけれど、どっちかっていうと、むしろ破綻しそうにないものがつまらないと思っているのかもしれない。それはある種、先進国的な、平和ボケした発想で、破綻しないものなんて普通じゃん、という所があるのかもしれない。

 僕にとっての面白い物語を作れる人って、そういう破綻の匂いの濃淡を自在に操れる人なんだと思う。たとえば、「世界の中心で愛をさけぶ」とか、「余命3ヶ月の花嫁」とか、あと「1リットルの涙」とか、その手のお涙ちょうだい系物語って、最初から破綻臭がプンプンしている上に、しかもなぜかフローラルとかそういう芳香剤みたいな人工培養されたいい匂い系の破綻の匂いなので、イライラするんだと思う。濃淡の調整もまるで効いてないし、あと人間が生きていく上での破綻っていうのがそんなにパッケージングできてイイ香りがするわけねーじゃんっていう怒りがある。あと、破綻が確定しているなら、それはもはやある意味破綻じゃないというか、だいたいスケジューリング通りに破綻して、っていうの、ダチョウ倶楽部のお約束芸みたいなもんで、笑えたりはするけれど間違っても泣けはしない。本当の破綻は、いつ、どんな風に、どこから綻びが生じて、どんな風に崩れていくかわからないから、スリルがあるんだと思う。飼い慣らされた破綻は、悲劇とは呼べない。

 そういえば、男女の三角関係がよく小説とかに出てくるのも、実は破綻の匂いが常にしているからだと思う。どこのタイミングで、このパワーバランスが崩れるかわからないっていうのが、みんなイメージしやすいから、使いやすいし、3つ視点があればグルグル物語を回しやすいので、便利なんだと思う。

 で、出来れば、そういう破綻の匂いをうまくコントロールしながら物語を編みあげて読ませたあとにも、何かしらずっと考え続けなければならないようなテーマが提示されていると本当に好きになる。物語のなかで完結してしまうテーマは、それはそれでよいけれど、やっぱり自分のなかで残り続けるのは、そういう風に問いを与えてくれるものだし、そうやって何回も考えなおしたり読みなおしたりしていくなかで、だんだんとその作品に対する愛着が湧いてくる。小説の場合、描写力とか、人間性とかそういう所がクローズアップされがちな分、問いかける作品にはなかなか出会えないし、それゆえに出会えた時の歓びもひとしおという感じがする。

 あと、実際の僕の生活も、かなり破綻に近づいて来ているのだけれど、当の僕はあんまスリリングじゃないし、ゆっくり殺されていく感じだし、まあでも一方でなんか僕自身はのんびりしているし、よくわかんないなと思う。当事者として破綻していくのと、傍観者としてそこにコミットするんじゃ、まあ違うっちゃ違うけれど、僕みたいにだいたいのことを他人ごとみたいに考えてる人間にとっては、そう大差ないのかもしれない。