僕として僕は行く。

旧・躁転航路

23歳になれました

 6月13日、太宰治の64回忌の今日僕は23歳になりました。ポップでもないし自分本位な僕なんですけれど、今年はすごく色んな方に祝っていただいて、色んなものをいただいたり、ご飯を食べさせてくれたり、お言葉をかけてくださったり、一緒にダラダラ過ごしてくださったりと、すごく幸福でした。客観的に見て、僕の人生とか家庭環境とかが上手く回ってるかどうかっていうと多分そうではないのだと思うけれど、幸い、友人知人にはすごく恵まれているし、家庭環境もややこしくはなりつつあるけど個々が個々として僕のことを尊重してはくれているし、なんつうか、なんかこんなにいいのかなっていうぐらい愛に溢れた日々を送らせてもらっていて、かなり感慨深いものがある。こんなに精神的に満たされていると、俺つまんなくなっちゃうんじゃねえかなみたいなすごく失礼なことも時々思うけれど、まあ全ては流れのままにだと思う。別にいまどれだけおもしろいかとかわかんないし、あといい時だけが続くわけでもないし、まあそれゆえにだから余計に嬉しいというのはある。

 この機会に、改めて、インターネットすごいなと思った。インターネットが無かったら、実際に会うか電話するぐらいでしか語りえなかった思いが、すごく気軽に、各々のタイミングで送信できるの、マジですごいと思う。もちろん、実際に会って祝っていただけるのも当然格別なものがあるのだけれど、それに加えてオルタナティブな選択肢をインターネットはすごくたくさん提供してくれていると思う。インターネットに満ちた悪意とかが悲しかったりもするけれど、でもそれは別にインターネットにかぎらず、世界の縮図だからそうなのであって、それが多少極端になったりとかするだけの話なのかもしれない。たとえば、wishlist経由でものを送ってもらえたり、TwitterとかFacebookでおめでとうって言ってもらえたり、しかもそれもTwitterのリプライだったりダイレクトメッセージだったり、Facebookだったらウォール投稿だったりチャットだったりメッセージだったりバースデーカードだったり、もしくはLINEであったりとか、すごく繊細な棲み分けがあって本当にすごいと思う。それでまた、みんながそれぞれの方法を選びとって祝いの気持ちを届けてくれているのだな、と思うと、それは多分なんとなく偶然選んだだけにすぎないにしても、すごくこみあげてくるものがあるな、と心から思った。