僕として僕は行く。

旧・躁転航路

When The Music's Over

 僕は別にその場にいる必要は無かった。僕はそこをとうに退職していたし、それでも何かの縁でそこに居合わせた時に、その破局の瞬間の当事者として、そこにいなければならないと思った。幸い、ちょくちょく顔を出す機会があったからか、誰も僕を変な目で見たりはしないし、馴染みのある人も多く、そうじゃなくても顔見知り程度の人が多い。上司だったミズシマさんも僕を当たり前のように受け入れてくれた。色々期する所はあると思うけれど、一番大きいのは、どう考えても”人手”が足りないからだっただろう。しかし、仕事をするわけではないから、ちゃんとした申請書類を書いたりという必要もない。そもそも、もはや仕事などは存在しなかったからだ。このオフィスのインターネット回線は遮断され仕事にすらならない。それでも、多くの人が一応はPCに向かっているのは、ここにいる多くの人がこの破局を受け入れられていないことの何よりもの証左なのだろうか。そんなことを思いながら、僕はUSBメモリに入っていた読書メモを印刷して読書の続きでもして暇潰しをしようと思ったのだけれど、倍率の指定がおかしかったのか、A4サイズのものが等倍でB5で出力されて読めない感じになっていたので、当然やり直そうとしたのだけれど、もうプリンタのなかに紙が足りず断念した。プリンタの紙の入っている部分を開くと、粗悪な再生紙や、裏に何か印刷された紙しか入っていなかった。ここは紛いなりにも出版社だったはずで、破局の足音はこんな所にまで響いていた。僕が印刷に失敗した紙束を持ってウロウロとしていると、メガネをかけた社員が「あれ、もう紙無くなっちゃった?」と聞く。「無くはないんですけど」と答えると、「そうか」と言って、その社員はもう1度腰掛け、同じ島の社員との話に戻った。

 そんな風にしていると彼女が目に入った。彼女は戻ってきたんだとも言わなかったし、僕も戻ってきたよとも言わなかったけれど、互いの運命やそこに思うところに関しては理解できていて、そんな言葉を必要ともしなかった。それが多分お互いに心地よかったし、僕らが友人以上の親密さを獲得する理由は、僕らのおかれている運命と、ここを辞める前に積み重ねてきた時間の密度だけで十分だった。もしかすると、彼女は僕がそうやって従来の関係を跳躍して彼女の体に触れる時をどこかで待ち続けていたのかもしれないし、僕のほうもそんな切欠が必要だったのかもしれないけれど、そんな事はもはやどうでもよいことだった。僕にとっては、少し低い背から、眼鏡越しに僕を見上げる、少し茶色くて肩まであるストレートの髪をしたその女性がただ何よりも愛おしかったというだけの話だし、そんな風に見下ろした時に見える胸元と、どちらかというと小さめのその胸に触れたいと思ったというだけのことだった。恋人が出来るというのは、そんな風に好きな女性の胸元を覗いていてもやましい思いなどしなくてもよいということでもあって、免罪符の手に入れ方を初めて知ったような安堵を心のうちに覚えるとともに、その免罪符を、自分を偶像に貶めうるその免罪符を僕にくれた彼女を、今まで出会ってきたどんな女性よりも愛おしいと思った。少し離れたコピー室に彼女と入り、僕はせめて出来る限りの愛を彼女に示したいと思ったが、先客がいた。クリエイティブ系の職種らしく、おしゃれな髭をしてカジュアルな格好をしたその男性は、僕らに一瞥をくれることもなく、ただ窓から外のほうをじっと見ていたが、特に何かを見ているというわけではなく、また物思いに耽っているようでもなかった。ただ自分の置かれている運命に翻弄されている男としては、この上なく正しい反応のように思われた。しばらくすると彼は部屋を出ていった。もしかすると彼は本当は僕らに気づいていたのかもしれない。その様子を見ながら、僕らも少しだけ真剣に自らの運命を案じるような話でもしようかと思ったが、そんな風に話すにしてはあまりに手に負えない話題だったので、彼が出ていってすぐに、僕らは瞳だけで言葉を交わし、そしてキスをした。抱き寄せた彼女の体はやわらかく、僕が期待していた通りで、それだけで幸福な思いに包まれた。そこに通りかかったミズシマさんが、少しドアを開き顔を覗かせながら、どこか厳しく「ここはそんなことをする所じゃないぞ」と言った。彼は緩いのか厳しいのかよくわからない人でいまいち掴みどころが無い人だったが、やっぱりそれは変わっていないのだと、とても微笑ましかった。僕らの初めてにして最後の逢瀬はこうして終わったが、それもまた運命なのであり、僕の都合などは最初から無かったかのように経過していく。ならば。と思った。受け入れるほかないのだ。幸福な時間すらも、運命の掌中にあって、その許された中でただ精一杯生きるしかない。繋いだ手を解き部屋を出る時、僕は後ろを振り返らなかった。いや、出来なかったという形容のほうが真摯ではある。敢えて選択しなかったというようなカッコの付け方が出来るほど偉い生き物ではなかった。僕はミズシマさんをすぐに追いかけて彼の背中に話しかける。「奴らのなかに馴染みのある人間が数人いて、彼らと戦う時には個別に対策を立てなければなりません。戦いの中心になる人間を集めて、対策について話し合う機会を設ける必要があると思うのですが」ミズシマさんは怒っている風でもなく、その切り替えが彼らしくもあった。「うん、じゃあそういうことなら、君がやってくれるかな?よろしくね」 微笑みながらそう言った。幾度と無く味わってきた、信頼という薄くも濃い至福の味が体中に拡がっていくのを覚えていた。

 

 鉄の雨を掻い潜り、出来るだけ誰も殺してしまわないようにキャンプに近づいていったのだが、不思議とキャンプが近づくにつれてそんな雨も少なくなっていたので、まさかキャンプにほど近い、僕らのテナントがある雑居ビルからスナイパーがこちらに向けてファインダーを覗いているとは気付かず、いつでも狙撃できる位置に相手が陣取っていることにやっと気付いたのは、遅れてキャンプに合流して彼女に話しかけた時だった。「え?これだけ?」という僕の問いに、彼女は「うん」とだけ答えた。「あの、恐竜みたいなのとか、クジラみたいな奴らは?あと、ほら、超強面のあのコンビとかは?」 「みんな死んだらしいよ」 それらは十分に予想されたことで、特段ショックというわけでもなかったが、彼らぐらいの強さの奴らが簡単にやられるぐらいなのだから、もうどう見ても勝機は無いな、と思ったが、よく考えれば僕らには元々勝機などは無かった。そもそも、何のための戦いなのかわからなかった。気がつけば追い詰められ、戦わざるを得ない状況になっていた。「これだけ?」とは残った者の数の少なさだけではなく、あると言われてきた本部からの補給の数についての驚きでもあった。これだけの人員に対し、食事補給は一房のバナナだけで、思わず笑ってしまう。「いいよ。お腹空いてないし。」と言ってパスしたが、人よりもあまり食べないで済む体質に生まれてよかったと思った。空気のよめない同期のバカの一人が、一人で一本丸ごと食べていて、こいつは本当にどうしようもないと思ったが、そんなことをいちいち指摘しても仕方がなかった。

 それにしても、狙撃隊が眼前に迫っていながら、僕らも、そして相手も一向に仕掛ける気配が無いのは一体なぜなのだろう。どうせ勝ち目のない戦いならば、早く始めてしまいたいというのが僕の思いだった。歯がゆかった僕は、小石を拾い上げ、こちらにむけられたファインダーに向かって投げた。狙撃手が血の吹きあがった左目を抑えて倒れる。小石はファインダーを貫通して目を潰すのに成功したようだ。そうだ、こうでもすれば状況は少しは打開するはずだと思ったが、そうは出来ないのは、この程度の事が出来る筋力と精度を兼ね揃えた者が僕ぐらいしかいないことを意味していた。ミズシマさんも、底力を出せば強く、基本スペックも高いが、性格的には本来ならばこんなところで前線指揮するタイプではなく、もっと適任がいたはずだった。

 そう、僕らは完全な意味では人間ではない。摂食交配という特殊な生殖形態を持ち、食べた動物のDNAを取り入れることの出来る「バケモノ」だ。しかしながら、ここにいる誰もが、人間でいる時間帯のほうが圧倒的に長い。本来ならば、バケモノの姿になる必要などに迫られなければそんな姿になることはないし、むしろ人間でいる時間のあまりの長さに、自分たちの「本来の姿」が何を指すのかわからなかった。人間のように暮らし、人間と同じ食事を行い、そして人間と同じように生殖する。そんな風に生まれついた僕らは、自然と集まって会社を作ったりして暮らしていた。そして、ただそんな風に生まれついたという理由だけでここまで追い詰められ、そしてここで息絶えようとしている。それでも。彼らがここで仕掛けてこないのは、長期戦化して、僕らが投降してくるのを待っているからではないだろうか。管理下におかれることにはなるだろうけれど、決して絶滅させたいわけではないのかもしれない。そんな淡い希望の光がついては消えている。しかし、だとすれば。それを指揮官に話し、みんなを納得させる役目を負うのは、おそらく僕しかいないのだろう。だが同時にその提案が「出来ない注文だ」と跳ね返されることも可能性としては十分にあることに気付いた。その場合、僕が出来ることとすれば、残った中では戦闘力も高く体も大きい分、最初に出ていって弾避けと時間稼ぎをすることだった。せめて、彼女だけでも生き延びて、幸せに暮らして欲しい。その為には、どうやって時間を稼ぐべきか。どんな戦略がありうるか、いったい何分持てば十分量だと言えるのか。そんなことばかり考えていた。

 

 

 

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僕が見たのはそんな夢だった。明らかにハンターハンターのキメラ・アント編にインスパイアされた内容なんだけれど、本当にいろんな象徴性が読み取れる夢だなと思ってメモをした。特に脚色もしていない。こんなにはっきりと記憶に残っている夢というのも珍しかったし、まあ単純に物語としても面白かったので、ここに記録しておいた。目覚めてすぐに、The DoorsのStrange Daysというアルバムが聞きたくなったので、聞きながら書いていた。すごく世界観にマッチしていて、面白いなと思った。