僕として僕は行く。

旧・躁転航路

おばあちゃんに日記帳を贈ろうと思った

 二ヶ月ぶりぐらいにおばあちゃんの家にいった。おばあちゃんは、自転車で10分ぐらいで行ける距離なので、特に週末になると、僕の家族は誰かしら遊びに行っている。特に息子であるお父さんはよく行っているみたいだ。

 先日おばあちゃん家にいったのは、そういう風にふらっと様子を見に行くというのとは少し違う意味合いがあった。というのも、しっかり者のおばあちゃんには珍しく、買い物に行った先で家の鍵を落としてしまったらしく、合鍵のあるぼくらの家に電話をかけてきて、僕がそれを持っていくことになったのだ。母は最初弟に頼んでいたが、弟はトイレでぶりぶり言ってたので、久々におばあちゃんの顔を見に行こうと思った僕がじゃあ行ってくるよ、ということで行ってきた。

 おばあちゃんは団地に住んでいて、その入り口の日陰で待っていた。おばあちゃんは、苦労して携帯電話の操作を覚えていたので、それで色々と助かったな、と思った。最近は寝る時も携帯電話を枕元に置いて寝ているらしい。去年の暮れにおじいちゃんをなくしてからは、おばあちゃんは一人でそのアパートに住んでいる。このまま倒れたら、誰にも見つけてもらえないまま死んでしまうのだろうか、と考えるとなかなか寝付けない日も増えたのだと漏らした。でも、と続ける。おばあちゃんのように、高齢でかつ単身で住んでいる人がこの団地には多い。おばあちゃんは、足の悪いお向かいさんのかわりに、ゴミ出しをしてあげているそうだ。

 幸い、鍵はすぐに見つかった。買い物にいったスーパーですぐに見つかったのだそうだ。本当によかったと思った。もし鍵が見つからないままでは更に心配の種が増える。鍵の交換さえも必要になるだろう。すぐに見つからないようなら、僕がひとしきり経路を辿って探さないといけないと思っていたが、それでも見つかるかどうかわからないので、本当によかった。

 おばあちゃんは、しきりに要らない手間をかけて申し訳ないと言った。基本的に、お年寄りは謝りたがるものだという認識はあるので、見つかってよかったね、だとか言ってたんだけど、ああ情けないといってちょっと泣いていたのがとてもかわいそうだった。しっかり者として周囲からも認識されているし、何よりも自分自身でそう考えていたおばあちゃんにとっては、僕が想像していたよりもずっとこたえる出来事だったのだと気付いた。おばあちゃんもあかんわ、ちょっとずつボケてきているのかもしれへん、と言っていた。だから僕は、手先を使ったり、頭を使うことは脳にもいいことだから、日記をつけたらいいと思うよ、とすすめたら、ちょっと前までつけていたんだけどね。と言ってたけど、どうもやめてしまって最近はつけていないらしい。その”ちょっと前”とは、もしかするとおじいちゃんが亡くなる頃だったのかもしれないな、と思った僕はおばあちゃんに、日記帳を贈りたいと思った。