僕として僕は行く。

旧・躁転航路

インターネットの漂流ゴミ問題

 1.インターネットは人の負の側面を加速させる作用があり、2.負の側面を加速させてくる人間というのはそれをもっぱら至高善であると思ってやっている からこそ、最近のインターネットが個人的にしんどいのだと思う。なんか最近特に、そういう案件が体感的には多い気がする。それは、大規模炎上系の話題もそうなんだけど、そうじゃなくて些細なリツイートで回ってくるものもしんどかったりする。

 別に晒し者にしたいわけじゃなくて、かといってまあ批判する意図が無いわけではないけれど、上の具体例として挙げられるのは、今朝漂流してきたこれら。

 

 

 

 

 まあもちろん、このご時世をサヴァイブしていくためにはそういうノウハウも必要ですし、それを割りきって出来る能力っていうのは素直に必要だと思いますが。でも、こういうことを、さも一般常識や一般教養のように、更には社会的意義のある発言として啓蒙的意図を持ってさらっと言ってしまう、しかもそういうことをするのがある程度発言力のあるユーザーっていうのがなんつうか末期的かなあという感じがする。もちろん、むしろこういう風な極端でしかも笑えないタイプの発言をガスガスできるからこそある程度の人気が維持できるんだろうな、っていうのもわかりますが。

 一生関わり合いになりたくないタイプの人間が突如ボン!って現れてくるのって、実はソーシャル時代のリスクなんじゃないかと思う。いやいや、現実社会もそうなんですよ、と言われればそうなんですけど、でもなんか、正直、現実の付き合いのなかでこの手のゴミみたいなのが現れた時のほうが、いなしたりできるし、相手も「あ、いまいなされたな、こいつにこの話すんのはやめとこう」ってなるパターンの方が多くて、実はやりやすいような気もする(まあでも、逆にいなしきれずにけしかけてくるタイプのゴミも確かにいる。不思議とそういう奴らは僕みたいな人間にはあんまりけしかけてこないんだけど、優しそうで受容的なオーラが出ている人にはバンバン行っているイメージがある)。しかも、Twitterって一応興味のない人間については全くコミットメントしなくていいはずの仕組みじゃないですか。それが人間としてどうなのかっていうのは置いといて、あくまで仕組みとして。そういう人がTwitterで直接的に関わろうとしてきたら、最悪奥の手としてブロックなり何なりがあるし。でも、実際問題そういうゴミみたいな話をする奴がワンサカいて、それを面白がって流れてしまうタイプの人もいる(さすがに、そこに真面目に感銘を受けるような人間とは関わり合いが無いので助かっている)。まあ、それはある程度オープンな状況を残しているがゆえのリスクなのかもしれないけど、もうこの世界に一定数ゴミみたいな事しか言えないちょっとした著名人がいっぱいいるのはわかったし、そいつらがむしろマジョリティとして社会を作っていくというのも重々承知しているので、そこに一切迎合できなかった僕のようなゴミ虫とは邂逅させないでくれ、と最近よく思う。これをインターネットの漂流ゴミ問題と呼びたい。