僕として僕は行く。

旧・躁転航路

言いたいことが溢れてきて止めどない感がある

 なぜかこう言葉が沸々と湧いてきていて、実は公開していないけど一応完成しているエントリとかも結構ある。アルコールが入るか、もしくはそれに準ずるテンションの高まりが無い限りそこまでバリバリ喋るほうじゃない僕だけれど、実は心の中ではかなり饒舌で、かつ演説家で、よく一人で脳内アジテーションとかもしてるし、それに対してよく一人で茶々を入れたりしている。喋るっていうのは実質的な運動でカロリーも使うけれど、脳内でアジったりするのは別に運動じゃないし、一切の筋肉を動かさずに出来るのが素晴らしくて、怠惰な僕にかなり合っているのだと思う。で、キーボードにそれを打ち込む時は、まあ指先しか使わないし、別に喋る相手を捕まえにいかなくても出来るし、あとで読み返せるし、なんか自分にとって得しかしてないような気がする。コミュニケーションの一つといえばそうなんだけれど、でもなんつうか、自由に読みたい人だけ読んでね~という緩いスタイルが僕にとっては口頭の会話よりも心地よい。

 口頭の会話っていうのは、なんつうか、情報量が多すぎる。あれ、今相手退屈してないかな。時間大丈夫かな。お腹空いてないかな。いまあっち向いたよな、あんま面白くないのかな。あれ、よく見たら今日ちょっと浮腫んでるな、俺も浮腫んでたりすんのかな。あーかえって横になりたいな。この会話、ちょっと中断して横になったらダメかな。あー音楽聞きたい。音楽聞きながら喋りたい。あ、そんなこと考えてるうちに曇ってきた。あーそういや明日も雨っつってたな、だりぃな、明日朝からスーツだよ、うわ~。そういや、あんまり目合わせてないな。かといって、俺が見過ぎてなんか好きとか思われても申し訳ないしな。まあ実際のところ好きなんだけど。とか、そういうの一切ばっさり切り捨てれるのも大変よい。要は、会話のようにその場を共有することは出来ないけれど、その分各人が思い思いのペースでそこに関与できる。それがきっと良い。自分に向いている。

 まあでも、実際に面と向かってするコミュニケーションもそれはそれで面白い。相手が目に見えているというので、大変戦略性があるし、リアルタイム感とそれに伴う緊張感があって良い。それの最たるものである麻雀に、今から行ってきます。