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旧・躁転航路

エウレカセブンAO 第7話 "No one is innocent" 感想

 唐突ですが今見てるアニメの感想とかも普通にここに書きます。でもいきなりすぎるので、ちょっとエウレカセブンAOの概要とか書きますと、エウレカセブンAOは、2005年から放送されていた前作エウレカセブンの後継作品にあたります。舞台は何年後か詳しいことはしりませんがとにかく近未来の沖縄。連合国(主にアメリカ)、そしてかつての”宗主国”日本との間で板挟みになっている沖縄は自主独立を目指しています。前作メインヒロインの子(?)であるフカイ・アオくんが色々と政治的な思惑とか、ヒロインの女の子(アラタ・ナルちゃん/この女の子もなんか色々とややこしい運命の下にあるっぽい)に危機が迫るとか迫らないとか、まあそういう感じです。前作が現実世界とはあまりリンクを持たない世界観であったのに対し、今作は前述のように現実世界とのリンクが多々見られる一方で、前作との繋がりも随所に見られます。

 (※この段落ぐらいからちょくちょくネタバレも出てきます) 個人的に前作は、とにかくウダウダで、正直言うとかったるかった。前作の主人公(レントン)とメインヒロイン(エウレカ)よりも、裏の主人公(ドミニク)と裏のヒロイン(アネモネ)の行く末のほうが感情移入できちゃったりと、何ともいえない仕上がりになってて、オチもう~んという感じ。加えて、ダンス・ミュージックとアニメの融合というのもなんか中途半端だし、そもそも楽曲のチョイスがいかにも「ロック好きな人がたまに聞くダンス・ミュージック」という感じで何とも苦々しかった。でも、途中まで切ると最後まで見ないと気が済まない体質(損切りに失敗して大量の赤を出すタイプ)なので、気合で最後まで観て、何ともいえない気分になっていました。で、それに対して今作は世界観も洗練されていて、現実に近い政治観(つっても、沖縄の独立云々なら絶対中国も絡んでくると思うんですが、そういう描写は皆無なのがどうか、とかそれはさておき)のなかで翻弄されつつ、かつ思春期のアイデンティティの葛藤や、”島に災いをもたらした女の遺した子ども”であるアオのマイノリティとしての運命など、なかなかにこちらに突き刺さってくるテーマ設定が随所に見られていてなかなかに楽しんでみれてきました、んですが、この第7話"No one is innocent"ぐらいから正直微妙な感じに。ちなみに、No one is innocentはSex Pistolsの曲名ですね。

 で、どこがどう微妙だな~と思ったかというとですね、例えば政治であったり、マイノリティの受ける運命であったりっていうのは、単純な勧善懲悪で話が収束できないテーマ群で、そこに多分にリアリティがある。いわゆる富野信者(ガンダム原作者・富野由悠季の信者)である僕にとっては、ロボットアニメの俎上でそういうことをやられるとかなりグッと来てしまうんです。特に、現実政治にリンクした形でそういうことをやるアニメっつうのはなかなか無くて斬新だな、と思っていたんです。けれど、第6話 Light my fire ( こっちは超有名、The Doorsの”ハートに火をつけて”ですね)で登場した、中二病の権化であるようなTruthというキャラが出てきて以来なんとも話がおかしな方向に向かってきた。

 「ほう、あの女(※エウレカ)の子どもか」/「この世界の真実が見たい」/「隠された世界」などと、ちょっとしたメタ発言もイタいですし、何よりも「真実―虚構」という単純な対立図式がそもそも古くてもはや有効な手法じゃなくて、かなり残念な気持ちに。これまで一生懸命そういった対義語で2分割するようなことはしないまま、どちらにも正義も悪もあるというバランス感覚でやってきたのに、何なんだろうコレは、という感じがしちゃいます。あと、Truthさんのおかげでメインヒロインのナルちゃんが覚醒して空を飛べる(前作風に言えば”トラパーに乗る”ですし、描写としてもそれは意識されていた)ようになったり、アオくんと天秤にかけていとも簡単にTruthさんに靡いてしまったりと、クリシェ通りの動きで、う~ん・・・と思わせられます。なんつうか、この第7話を境に急激に陳腐化してしまった感が否めない。

 ただ、ありうる展開としては、というか、実際僕がそうであってほしいなという願望でもあるんですが、そういった陳腐な白黒発想でかつ中2病キャラっていうのはもはや無効なんですよ、しょーもないんですよ、っていう風な役回りを今後彼が受けていくんじゃないかな、と思うんです。要するに、その陳腐化すら実は狙ってやってることで、こんなバカなんてとっとと殺して、もっと錯綜して全てがグレーの濃淡しかない現実のパワーバランスのなかでどうあるべき世界を作っていくか、とかいう方向に行って欲しい。彼を倒したところで物語が解決するような本丸ではないし、そもそも誰を倒したから世界がまるっと平和になりましたじゃない世界を描き続けていくこと、そして、何よりも彼のような物事を全て単純に分解してそこに肯定と否定の価値観を付与していく人間こそが、現実の問題解決を停滞させる要因にしかなりえないということをメッセージとして持ち続けていくこと。それこそが現実とのリンクを保ちうる唯一にして最大の活路だと思います。そうじゃなければ、これまでの設定とかは一体何やったんや、とか、Gガンダムとかグレンラガンでやれ、とかいう話になってきますし、そうであれば、実際に僕が思うような方向に多かれ少なかれ収束していくんじゃないでしょうか。などなどと思いました。