僕として僕は行く。

旧・躁転航路

街場のパノプティコン

 僕の住んでいるマンションには、いま、外壁塗装をやるとかいって、周囲に鉄骨の足場が組まれて、うすいグレーの布で覆われている。必然、マンションの内側からは外が見えるけれど、外側からはこちらが見えないという状態がうまれる。僕は家の中ではたばこが吸えないから、いつもマンションの共用部分でたばこを吸うのだけれど、こんな時間でも、人がちらほら歩いていたりする。

 今日は、深夜徘徊している老人をみた。同じような老人はもう二人ほど近隣にいるけれど、今日の人は、ぼろぼろの自転車で、漕げばかたかたと音を出すようなものに乗っている男性の老人で、どっちを目指すわけでもなく、あっち向いたと思ったらすぐに方向転換してこっちに向かったりしながら、あてどない自由な時間を過ごしているようだった。もうじきすれば、この時間でも空は明るくなるのだろうけど、気温はともかく、太陽のほうはまだ夏じゃないらしく、最後の深夜だった。

 その徘徊している老人をみて僕は思う。あれは僕だ。将来の僕なのだ。いや、今でさえも、彼と大差ないのかもしれない。彼は僕を知らないが、僕は彼を知っている。もしかすると、パノプティコンで囚人を監視していた看守も、あの囚人たちは自分なのだと、思っていたのかもしれない。部屋に戻ると、The StrokesのCall it Fate Call it Karmaが流れていた、6月23日の午前4時だった。

 


The Strokes - Call It Fate Call It Karma (Music Video ...

25

 僕は自嘲して自分のことを「思春期が終わらせられないから」等と形容することがありますが、その意味するところとしては、自分に齎されようとしている変化の、その原因も結果も、はたまたそれがどのような種類の変化なのかさえもはたと理解できず、ただ今までとは何かが違うというフラストレーションだけが確かなものとしてあり続けている現状に、いつまで経っても振り回され続けている、という点なのです。

 そして25才になろうというその少し前からその種のフラストレーションが強く出てきており、先述のような、何なんだこれは一体、という居心地の悪さだけがずっとある。いや、正確を期すのであれば、誕生日の少し前から如実に悪化していった精神状態が、思春期の頃のそれのような困惑を身に纏うものであるということが認識できたのは、浅い眠りから覚めたつい先刻のことで、何か本当に正体不明なもやのようなものだったのが、正体不明ではあるものの過去に参照できる体験を持ち、かつその途中においては対処法を持たないものであるということがわかりかけてきたので、こうやって文章としてしたためることで、自分のなかで整理をしつつ、他方でせっかく誕生日を祝って下さった方に対する僕の不遜な態度を釈明しようとしているわけです。

 

 24歳までの自分と25歳になった自分は何かが決定的に違う。こう書くと、太宰が「パンドラの匣」でたびたび言及していた、新時代を生き抜くための「新しい人間」のようですらあるし、実際のところはもしかするとそういった可能性もあるのかもしれないけれど、でも僕は根本的にはとても臆病者で脆弱な人間だから、僕はもしかするとパンドラの箱を開けてしまったかもしれないという、事実以前であるところの、可能性でしかないものに対してとても怯えていて、今まで大切にしていたものが突然どうでもよくなったりしたことを、事後的に気付く度に、いったい自分に何が起きているんだとそら恐ろしい気持ちになっています。

 こうやって書いていく内に、じゃあ具体的にどういう変化があったのかと考えていくと、それは今までの自分がナイーブ過ぎただけなんじゃないかとか、そんな変化にセンチメンタルを覚えていること自体がバカにナイーブなのかもしれないとかも思いあたったりもしますが、しかしながら火に対する恐怖を克服できなかった猿というのが絶対にいて、だからこそ人間にならずに猿としてあり続けてきた種が今日においても存在しているように、僕は今までナイーブさを克服できずに進化の機会を失った猿だと思って、これからずっとその心積りで生きていくんだと、そんな風な生き方に一抹の矜持のようなものを抱いて、それこそ思春期の延長戦を戦い続けてきたのに、四半世紀が終わり半世紀へと歩み始めた途端に、そんなナイーブさを心の奥底に封印する術を身につけつつあるならば、一体どうやってこれからを生きていけばいいんだと、他人と関わる時に何を忘れてはならないのかと、てんで検討がつかないのです。

 だから僕は本当に変化が怖いので、これからはきっとまた、ブログを書いて、その過程というのをつぶさに見ていくことになるのだと思う。最近はずっと、色々なことを思って、書きかけたことは沢山あるけれど、結局はどれも途中でやめてしまったか、もしくは完成した途端に公開の必要性を急に感じなくなっていちおう保存してあるようなことが多かったけれど、またそういったものをしたためていく必要性があって、そう、その「必要性」、それが無ければ何も書く意味など無くて、だけどいまはそれが強くある、内容如何以上に、その動機というものが、動機というものだけが僕の指を動かさせている。それだけは24歳の頃も25歳となった今も変わってはいない。

iTunes Matchが使用できるようになった

 iTunes Matchっていうのが何かって言う話とそれをさっそく始めたもののアップロードに手間取ってるという話を以前しましたが、ようやく出来るようになったのでその話をします。

 

■Step1で止まる場合 
iTunes Storeのアカウントのサインインやり直しからのiTunes Match再スタートでどうにかなると思います。自分の場合はここではそこまで苦労しなかったので、もしここでどうしても止まる方の参考にはならないかも。


■Step2で止まる場合
→これがややこしかった。どうやらiTunes側のアップロード容量は決まった時間内での制限があるらしく、すごい勢いでアップロードしすぎると詰まってしまうみたいです。なので、帯域制限をかけてやってチョロチョロとアップロードしてやると上手くいくようです。詳しくはここなどを参照。これに輪をかけてだるいのは、少なくとも自分の環境では、Step1の時点で帯域制限をかけてしまうとStep1で止まってしまうということです。なので、Step1が終わるまでPC画面に貼り付いて、終わった瞬間に帯域制限をかけてやるということが必要でした。

 

■Step3で止まる場合
→個別の楽曲で止まってしまう場合だと思います。その場合は、iTunes Matchを一旦止めてやって、当該曲を右クリックし、「MP3バージョンを作成(AACバージョンを作成)」してやって、元のほうの曲をライブラリから削除してしまいましょう。インポートしなおすという方法もあり、どちらかというとTipsとしてはそちらのほうが広く流通しているようですが、この手段のほうが手っ取り早いと思います。

 

■4G(3G)回線下でもストリーミング音源を聞く設定
→やったー!ようやくアップロードが終わったぞー!! と思っても、実はこのままではWiFi環境下でしかアップロードした楽曲のストリーミングを楽しめません。iTunesのライブラリをそのまま外でも楽しめるのが長所なのに意味ない。えっまじかよ…と思いつつ調べたらすぐ出てきました。iPhone側の設定をちょっとイジれば一瞬で出来ます。iPhoneで「設定」>「iTunes & App Store」>「モバイルデータ通信」の項目をオンにしてやれば大丈夫。これでiTunesの入った母艦と同じネットワーク下にいなくても、いやWiFi環境下になくても、いつでもあなたのライブラリが持ち運べます。※ちなみに、「設定」>「iTunes & App Store」>「iTunes Match」をオンにしてないとそもそも全く使用できません、一応。


実際触ってみて

  • iTunesのライブラリに追加した楽曲がiTunes Matchに反映されるのが案外に時間がかかる。追加したての楽曲をすぐさま聞きながら外出したいときはやっぱり同期してちゃんと入れてやるほうが確実。
  • 「ほかのプレイリストを参照するスマートプレイリストは、iCloudではサポートされていないため、アップロードされていません」等というふざけた文言が出てくる。たとえば、「Aというプレイリストに追加されている中で、レートが★1以上の楽曲」みたいなスマートプレイリストは全滅します。これがスマートプレイリスト乱用派には意外とキツい。自分は垂れ流し用のスマートプレイリストを作り直す必要がありました。
  • しばらくiTunes Matchのストリーミング音源を再生していない状態でストリーミング音源の再生を開始すると、長いときは10秒ぐらい待たされる。まあいないとは思いますが、iTunes Matchのストリーミング音源を使ったiPodiPhoneでのDJプレイを考えている人には向きません。
  • iTunes Matchにお金を払って、実際使いはじめられるまで、スッと行く場合とそうじゃない場合がある。後者の場合、ユーザーによっては敷居の高いサービスになるかもしれない。自分のように色々調べたり、場合によってはソフトを導入したりする必要があるので、そういうのが苦手な人は、得意な人に手伝ってもらうか、諦めるかする必要がある。
  • 上限25000曲というのが案外シビアかもしれない。自分の場合、未来永劫聞かないだろうなというものを削ってもまだ22500曲で、数だけ見れば多いようにも見えるけど、容量にして173GBだから、案外カツカツ。追加容量の購入などが出来るようになってほしい。

 

iTunes Matchがはじまった

iTunes Matchとは何か

 かいつまんで言うと、みなさんのパソコンのiTunesライブラリに入ってる音源が、みなさんのiPhoneiPadでどこでも聞けるようになるサービスです。はやりのCloudサービスってやつです。詳しいことはなんかググってください。有料です、3980円/年かかります。

iTunes Match こんな人にオススメ

  • iTunesに音源を入れたときに同期しなおすのがだるい人
  • iPhoneの中身を減らしたい人
  • ライブラリが膨大でiPod Classicの複数持ちを実施、もしくは検討している人
  • Audiogalaxyと過ごした月日が忘れられない人
  • AndroidGoogle Play MusicをやりたいがためにProxyでUSアカウントまで作って頑張ろうかなと思ってるのだけどやっぱりiPhoneが便利だなと思う人
  • iPod ClassicだとLast.fmにScrobbleされないのが何かイヤな人(iOS版のLast.fm Scrobbler + iTunes Match音源だと普通にScrobbleされました、当たり前ですが)

iTunes Matchの一般的な現状 (5/7朝時点)

  • ステップ1もしくはステップ2の途中で止まっている人がけっこう多い。
  • Matchできない楽曲、アップロードできない楽曲を全部ライブラリから削除して一旦iTunes Matchを完了させ、それから削除したのをぽちぽち追加しなおしている人もいる。
  • 途中で止まっている場合でも、一応はiTunes Matchでアップロードした音源を他のデバイスで聞くことは出来る。ただし、基本的にはアルバム単位だけれど、なんかアルバムの途中でアップロード出来ない曲があると、それをすっ飛ばして次にいく。虫食い状態になりがち。
  • 途中で止まる場合、サインインしなおして、もう一度スタートから始めると案外すっと行くこともあるらしい。
  • iTunes StoreのトップページからiTunes Matchへのリンクが今朝みたら消えてる。Apple側がテンパってる気がする。アカウント情報→iTunes in the Cloudという風に進むか、もしくはブラウザでiTunes Matchのページに言ってなぜか「年間3980円かかります」ボタンを押すと、iTunes上で普通に見れるので、途中で止めて再開するときはこうする他なくなった。要するに、今はちょっとiTunes Matchやめといてねっていうことなんだと思う。
  • チェックマークのついていない音源も頑張ってアップロードしようとしてるけど、明らかに不要だと思う。現状、アップロードする楽曲を選ぼうと思うと、ライブラリを複数つくるしかないっぽくて頭悪い感じ。

iTunes Matchのぼくの現状 (5/7朝時点)

  • 何度やり直してもステップ2が11589〜11855曲 (/約23000曲) ぐらいで止まる。
  • サービス初日から設定やってるのに実質ほとんど利用できてないけれど、一年縛りはもうスタートしてるから損だと思う。

iTunes Matchをやってみたいと思っている人へ
 今は時期が悪い。もう少し待ちましょう。

iTunes Matchをはじめたもののセットアップが終わらない人へ
 色々Tipsみたいなのが出ていますが多分ある程度以上ライブラリの規模があるとどれもだるいです。ともかく耐え忍びましょう。

いつもの話

 何となく文章を書きたい気分になったので文章を書く。最近は最近で色々おもうこともあるのだけど実際のところそれをまとめるのが面倒だったりする。それは自分の今の文体に飽きたというのも多分ある。手癖で僕っぽい文章表現がどんどん出てくることに気付いた、それはある種手法が確立したようなもので、そうなると途端に飽きてくる。僕にとってだいたいのものはこんな風にして自分の中で手癖で処理できる段階に来ると飽きてしまう。

 自分にとって演奏したり歌をうたったりというのは一向にそんなふうに手癖でどうこうできる段階にはなってこなくて、いつまで経っても慣れないし下手くそだから、ブチ切れてもうやめてやろうかと思う瞬間も多々ある。でも、手癖にはいつまで経ってもならないから、少なくとも飽きてはこない。ただ、いつまで経ってもどうにもならない、進歩が見えないというのは実際のところ結構しんどい。何かをやめてしまう大きなきっかけの1つだとおもう。しかし、やれることをすべてやり切ったのかと言われるとそうでもない。まだまだやれることがある。ここまで来るともはや固執とか我慢比べとかそういうものに近い。

 音楽に限らず、僕には足りないものが山ほどある。けれど、じゃあそれを一つずつ補うために日々ちゃんとこなせているかというと、全くそういうことはない。そういった努力ができないのなら、自分に足りないものを見つけて劣等感を抱く資格すらない。あの人にはあって自分には無いとただ嘆いているだけの劣等感をルサンチマンとよぶ。そのルサンチマンは、持てるものがただそれを持っているという、それだけの理由で相手に襲いかかり、喉を噛み千切ろうとする怨嗟にすらなる。だから、正しく劣等感を抱いたり、嘆いたりすることは、実際は、持てるものに負けず劣らずの特権階級の人々にしか許されていないのだとおもう。

 話を手癖のところにもどすと、手癖化することの何が嫌かというと、それがルーチンワーク化して、変化が無くなるからだ。僕は同じことを繰り返すのが本当に苦手だ。何がそんなに嫌なのかはわからない。極度の飽き性なのもおそらくは根深く関係している。けれど、持てるもの、いや、それ以前に、嘆く権利のある人になるためにすら、そういった日々のこつこつとした積み重ねをやっていくしかないのだ。

 毎回似たような結びを書いて終わる。それは進歩がないと言ってしまえばそうなのだけれど、もしかしたら自分に言い聞かせておきたいことを思い出すために書くという手段をもちいているのかもしれない。さあ、やれることがまだ山ほどあるだろう。

∀ガンダム雑感① 死に場所を求めてしまうことについて

 ∀(ターンエー)ガンダムっていうガンダム作品をなぜかこのタイミングで全部見なおしていまして、それがつい先程終わって、最高だったので、∀ガンダムのお話をしたいんですけど、それをするには∀ガンダムの一体どこがどう最高なのかみたいな話からまず始めるのが筋だと思うんですが、すみませんが(?)、それについては後回しにさせてください。いま自分の頭の中で色んなものが繋がって来ていて、それは多分いまというタイミングを逃したらまたどっかにふわふわ飛んでいってつかめないことなんで。ただでさえ思考があっちこっち飛んでいきがちなので。

 

 で、この∀ガンダムの主要テーマとおぼしきものはいくつかあって、その中の1つが「システムの良し悪しは要は使う人間次第」っていう話です。象徴的なのが、主人公機であるところの、∀ガンダム、これは実はかつて地球の文明を一度すべて無に帰したヤバい機体なんですが、心優しい主人公ロラン・セアックは大きな災厄をもたらすことなく運用していて、最小限度の戦闘と、あと牛の運搬とか川での洗濯と乾燥とかに使っています。草食系のハシリじゃありませんが、ロランはそもそも戦うことが好きじゃありません。かといって臆病なんじゃなくて、戦闘的な行為や振舞が問題解決にとってあまり必要ではないと考えているタイプです。

 そして、そのロランと対照的に、ロランを除く登場人物のほとんど、特に男性キャラクターとかは、モビルスーツガンダムとかの戦闘ロボットのことを指します)が出てきたからそれを使って戦争がしたくて仕方ないんですね。あるものは復讐のために、またあるものは武功を立てて名誉や地位を獲得するために、またあるものは死に場所を求めて。軍人にとって、戦場で死ぬことより名誉なことはないみたいな話かもしれません。そもそも生きて帰ってくるために戦争に行くとかいうのはおかしい話ですよね、それなら最初から戦場なんかに行かんし。と、こういうことを考えてたときに、ふと思い出した話があって、それが以下の引用です。

伊集院光「僕は落語家になって6年目のある日、若き日の談志師匠のやった『ひなつば』のテープを聞いてショックを受けたんです。『芝浜』や『死神』ならいざ知らず、その時自分がやっている落語と、同じ年代の頃に談志師匠がやった落語のクオリティーの差に、もうどうしようもないほどの衝撃を受けたんです。決して埋まらないであろう差がわかったんです。そしてしばらしくして落語を辞めました」

立川談志「うまい理屈が見つかったじゃねぇか」

伊集院光「本当です!」

立川談志「本当だろうよ。本当だろうけど、本当の本当は違うね。まず最初にその時お前さんは落語が辞めたかったんだよ。『飽きちゃった』とか『自分に実力がないことに本能的に気づいちゃった』か、簡単な理由でね。もっといや『なんだかわからないけどただ辞めたかった』んダネ。 けど人間なんてものは、今までやってきたことをただ理由なく辞めるなんざ、格好悪くて出来ないもんなんだ。そしたらそこに渡りに船で俺の噺があった。『名人談志の落語にショックを受けて』辞めるなら、自分にも余所にも理屈つくってなわけだ。本当の本当のところは、『嫌ンなるのに理屈なんざねェ』わな」

伊集院光・立川談志との対談「噺家を辞めた理由」 | 世界は数字で出来ている

この引用中にあるように、伊集院光にとって「談志師匠の落語を聞いてショックを受けた」というのが、彼の中にあった「落語をやめたい」という気持ちのトリガーを引く「もっともらしい理屈」であるのと同様に、軍人たちにとって「名誉の戦死を遂げる」ことは、おそらくは彼の中に元々ある「人生をやめてしまいたい、死にたい」という気持ちのトリガーを引く「もっともらしい理屈」であると考えるべきなのかもしれません。しかも、戦場で死ぬなら、それは名誉ですらある。同じように戦死していく仲間もいて、決して1人でもない。国民とかいう顔の見えない「仲間」がみんなで弔ってくれさえする。寂しがり屋にとっては最高の死に方なのかもしれません。だからこそ、ここで僕が言っておきたい点というのは、戦争があるから死ぬのではなく、死にたいから戦争をする人々が存在しているということです。

 本来的には単なる現象でしかない、「生と死」に意味を与えずにはいられないほどに、人は弱く儚い存在です。だからこそ、「死」に「共同体の名誉」という形での意味を与えようとしたくなる一部の人々の心の動き自体は否定できません。しかしながら僕は言わなければならない。あんたの死にたいという思いの巻き添えになって死ぬのは、死んでもごめんだ、ということを。なぜなら、僕はどんな風に死ぬかを他人に委ねられるほどヤケではないし、その程度には自尊心があるから。僕は1人で死ぬし、あんたも1人で死ななければならないんだ、そうじゃないと、おかしなことがいっぱい出てくるから。

 

 

誰かの無知や偏見で
俺は死にたくはないんだ
誰かの傲慢のせいで
俺は死にたくはないんだ

俺は俺の死を死にたい
俺は俺の死を死にたい

俺は俺の死を死にたい.mp4 - YouTube

 

 

 最後に。戦争も、いや、ひいてはこの「生と死」というシステムさえも、「要は使う人次第」なはずです。僕はそれを、軍人のように自分のヤケや名誉のためにではなくて、ロランのように、人を優しく包み込み、日々を愛するために使える人になりたいのです。

 「やっぱりミリシャのコンビーフは、月で食べてもおいしいですね」

第42話 「ターンX起動」より、ロラン・セアック

 

初代ポケモン151匹言えるかな?

あなたは113匹の初代ポケモンを言うことができました。 ロコン等38匹を言えませんでした。 精進しましょう http://hoget.web.fc2.com/pokesay.html #ポケモン言えるかな

 おもしろかった。途中から、初代じゃないポケモンの名前とかしか思いつかなくなる。それも尽きると、ポケモンっぽい別の固有名詞が思いつく。たとえばポグバ(ユベントスのMF)とかそういう感じで思いついて、途中からポグバって絶対ポケモンだろみたいなことしか思えなくなって、最終的にポケモンの名前っぽいサッカー選手の名前探す感じになっていく。ビダルユベントスのMF)→アビダル(ずっとバルサにいたDF)とか進化してそうだよなとかそういう余計なことがどんどん出てくる。ロッシ(ずっとビジャレアルにいたFW)→デ・ロッシ(ローマのMF)もそういう感じ。

 

 これ初見で151匹ぜんぶ言えた人すげえなと思ってハッシュタグ見たら、言えてる人わりといて、やっぱりキモいなと思ってそっと⌘+Wおした。